2005年09月25日

著作権は文化を殺す

タダでさえ文学なんて絶滅危惧種なのにさらに自分で首を絞めている文学家が世の中多いようです。

この問題で何がおかしいかといえば、そもそも文学を理解するための語学力を育てる国語教育からお金を徴収しようというところ。

これは漁業で放流すべき魚の稚魚を食べているような状態に似ています。

つまり、現状わずかばかりのお金は搾取できるかもしれませんが、この状態が続けばタダでさえ子供が嫌う長文読解問題は教育の現場でどんどんないがしろにされるのでは無いかと思います。

さらに、一部の人は教科書自体からも集金したいらしいので、その流れが加速すると教科書に載るのはパブリックドメインに帰した古典文学だけとなるでしょう。

古典文学は現状の社会観とはだいぶずれてきていますし、何より今の口語から遠くて読みにくいことこの上ないので、こんなモノを本以外にたくさんの時間利用選択がある現代の子供が読むわけがありません。

そして、そうやって文学にふれずに育った子供が大人になり、いずれ誰も文学を読まない時代がやってくるのでは無いかと思います。

まぁ、訴えているような人は自分が生きている間に甘い汁を吸えるだけ吸えればいいと言う考えなのかもしれませんが。

また、海外では検索エンジンで書籍の内容を検索できるような動きに文壇が待ったをかけています。

これなんかも検索できることは百利あって一害なしだと思うんですが・・・

そもそもGoogleがやろうとしていることは図書館で膨大な書籍の中からみたい本を探す作業をネットでやろうと言うことで、ITを使った消費者の利便性を上げる合理化以外の何者でもありません。

電子化といってもそれすべて公開するわけではありませんし、抜粋がみれるというのが図書館で目的の本を探すためにいろんなほんのいろんなページを見て回るのと何が違うというのでしょうか。

そもそも書籍検索でちろっと抜粋が読めてその程度で満足されてしまうような薄っぺらいモノを書いているのがいけないんであって、それを権利侵害だと騒ぐのはどうにもお門違いな気がしてなりません。

こうやって「何でもかんでも著作権著作権」と言うのが潮流になってきてますが、それを謳ってコピーガードをかけたCDは見事に失敗し、著作権保護を重視した国内携帯オーディオ機は全滅し、利権でガチガチの地上波デジタルですらワンスコピーから複数回のコピーを許可するような動きに変わりつつあります。
(まぁ、この複数回コピーもB-CASカードとセットなので使いにくいことこの上ないですが、消費者の大半はバカなのでしばらくはここら辺が落としどころになってしまうんだろうなぁと思います)

こうやってあちこちで著作権を振りかざした暴力が失敗しているのは、消費者が望んでいないからに他なりません。

消費者が居ない著作物など独りよがり以外の何者でも無いので、もっとフェアユースを意識して欲しいところですが、どうも著作権が強力すぎるために勘違いする人があとを立ちません。

なので、著作権はいい加減改正しないと、著作権によって文化を殺されてしまう日が来てしまうような気がしてなりません。

Posted by Takuchan at 2005年09月25日 18:45 | トラックバック(0)